代表者挨拶

シャイニングコネクション代表挨拶

初めまして、シャイニングコネクション代表の相川六平太(あいかわろっぺいた)です。

この度は数多くあるサイトの中から、シャイニングコネクションに関心を持って頂き、ありがとうございます。

どうぞよろしくお願いいたします。このページをご覧になられているということは、少なからずチャットレディに興味をお持ちだと思います。今の世の中は、エネルギー代、光熱費、物価高の影響もあり、収入は増えないのに、支出ばかりが増えていく状況です。

そんな状況を変えようと、チャットレディを始めてみようかと考えたあなたにとって、輝ける(シャイニング)未来に向けてのつながり(コネクション)になりたいと思います。そこで、少し自己紹介をさせてください。

人並み以上の少年期

私という人間を、簡単に言い表すならば、器用貧乏であるということになります。小、中学校の頃は、勉強においても、スポーツにおいても、学年のトップクラスに位置していました。それも、特に努力をしたわけではなくてです。

小学校の低学年で、姉の通う塾に私も通い始めました。自分のペースで出来る所がハマったのか、高学年の頃には高校レベルの数学をやっていました。中学に入り、部活動に入ります。私の頃は1学年の人数が多く、30人以上いる中で、6人しかなれないレギュラーでした。陰で練習していたわけでもなくです。そして、3年生の夏の大会には、県大会に出場しています。高校受験でも、これといった努力もせずに、県内有数の私立高校に、進学しました。1年生の1学期には、中学と同じ部活動に入りました。さすがに高校では、二足の草鞋を履くとはいかず、成績が芳しくないと担任の先生に注意をされました。この時点で、40人近くいる特進クラスで下から5本の指に入る位置です。これはまずいと、2学期になる前に部活動を辞め、授業を真面目に聞くようにしました。そして、定期テストの前には、1週間くらいテスト勉強をしていました。その結果、卒業するまで、特進クラスで10位前後をキープし続けました。そんな調子で、大学受験もテストの前の2週間をみっちり対策しただけで、見事合格です。周りの友達からは、(卑怯者)とうらやましがられました。

初めての挫折、そして社会人に

そもそも、この大学受験ですが、私としては落ちるつもりで受けていたので、自分のレベルより上の大学でした。なぜ落ちようと思ったのかというと、ろくに努力もせず、たまたま結果を出しているだけでは、ろくな人間にならないと思ったからです(笑)自分のレベルより上なのですから、必死になってやらなければ、ついていけるわけがありません。ですが、今までそこそこの努力で結果を出していた私にとって、必死になることは恥ずかしい事でした。なので、そこそこの努力で何とかなると思ってました。

ですが世の中、そんなに甘くはありません。必死にやらなかった私は、大学のレベルについていけなくなり、3年程で逃げ出しました。自主退学というやつです。3年もいたら後1年なのにもったいないと思うかもしれませんが、ずっと1年生のままでした。大学入学を機に、親元を離れ、一人暮らしを始めていたのですが、このことも必死にやらなかったことの一因でした。その頃の私は、とかく自分に甘く、勉強するよりゲームで遊びたい。1限から出席することより寝ていたいと高校生の時に危惧していた、ろくでもない人間になってました(笑)自主退学してから、数ヶ月就職するもすぐに辞めるを何度も繰り返していました。

もう少しで、過労死する所だったよ

このままではいけないと思い、私も考えました。誰かに監視されて、自分を変えられる場所に行こうと。実家に戻るつもりはありませんでしたので、住み込みか寮完備な所がいいなと。そして場所を変えて、新聞屋で働くことにしました。想像に難くないですが、大変でした。配達業務は自転車だったのですが、最初の1週間は夜中に足がつって、目をさましていました。ただ、なれとは恐ろしいもので、次第につった足をすぐに直して、また寝ていました。1ヶ月程した時に、父方の祖母が亡くなりました。お葬式の為に帰った時に着た服は、ウエストが大幅に減少しており、詰めないと着られなくなってました。その後は配達業務がバイクになったことで、少し楽になり、2年程経過しました。そしたら今度は母方の祖母が亡くなりました。その時の私は気が動転しており、お店に無断で実家に帰省してしまったのです。バックレとゆうやつです。(私のいた店ではよくあることでした)当然店には戻れませんから、親の勧めもあり、実家でのんびりとしていました。その当時母が整骨院に通っていました。何の気なしに、母に誘われてやってみようと思い、先生に施術してもらい終わった後にいわれた言葉が、「もう少しで、過労死する所だったよ」でした。

結婚、そして2度の詐欺に合う

その後何年かは、何度も務めを変えて、実家で生活していました。そのうちに知人の紹介で1人の女性と出逢い結婚しました。そして、結婚を機に職場を変えました。基本給はそれほど高くありませんでしたが、残業代で稼げる会社です。すぐに長男が生まれ、順調だった生活に”あれ”が襲い掛かりました。リーマンショックです。

残業で稼がなければならないのに、残業時間は激減です。家族3人暮らすため、元の給料分位稼ぎたい。そんな時に「競馬予想の情報を提供する」という広告を見つけました。結果的に莫大な借金を抱えることになりました。これが第一の詐欺です。そんな状態を何とか抜け出して、長女も産まれました。残業時間も前ほどでは無いですが、家族4人普通に暮らせる程度には戻っていました。そして、平凡でも幸せな日々を送って送っていくのだろうと思っていた矢先に今度は大災害が襲い掛かります。そう

東日本大震災です。

私の住む地域でも、計画停電があり、リーマンショックの頃ぐらいの、残業時間になっていました。そして、今度は「スマホで自分の運気を高めて、宝くじに当たる」とゆう広告を見つけました。当然の如く莫大な借金を造りました。これが第二の詐欺です。

人との出会いにより、今の私がある

色々な人の助力により、詐欺被害から立ち直りましたが、これからの生活を考えれば、今の給料では決して十分とは言えません。そして、入社から8年程経過し、休日を持て余していた私は人材派遣に登録して、バイトを始めました。そこで私は様々な人と出会いました。今までテレビでしか見たことのなかった”ネットカフェ難民”。世間的に一流の大学を卒業しているのに、日銭暮らしをする人。仕事の能力は申し分ないのに、毎日の通勤が嫌だという人。今までの私の常識では底辺に属する人達と言えるでしょう。ですが、交流をしてみると、みんなひねくれたところもありませんし、前向きに生きている人達ばかりでした。そこで初めて、今までの私の世界の狭さに気付きました。人とは「いい所もあれば悪い所もある」よく言われる言葉ですが、それを消化する事ができました。

それからの私は人との関わりだけでなく、本を読んで作者や登場人物のからもいい所を吸収するようにもしました。多少の成長をした私に新たな出会いがありました。この仕事を教えてくれた先生です。先生の勧めに従い、チャットレディのことを勉強していた時に、1人のチャットレディを見かけました。その方は初心者のようで歴戦の男性会員にいいようにもてあそばれていました。かわいそうに思い私も入室して、話題を変えることに成功し、事なきを得ました。その後、ログインするたびに見かけるので、声をかけてみました。彼女はその時のことを覚えていました。やはり初心者で、事務所の人が何も言ってくれないので、男性会員の言われるままだったそうです。話してるうちに

”貴方みたいな人のやってる事務所ならこんなに苦労しなかったかも”と言われました。

”私にも事務所できそう?”と聞くと、”合ってると思うよ”と言ってくれました。

そこで彼女から、できる限りのリサーチをして、事務所設立を頑張っていました。いよいよ形になりそうなので、彼女に話をしてみようと思いましたが、いつもいる時間なのにいませんでした。それからずっと彼女は現れませんでした。次に彼女に会ったら、報告したいことがたくさんできました。私の事務所のチャットレディさんには、こどもを大学まで出したシングルマザーさんや、勤めていた会社を辞めて、エステやジム通いと自分磨きに余念のない方、自分でお金をためて、留学した方など、皆さん楽しそうに自分の望むお金を手に入れています。私も彼女たちの手伝いをし、笑顔を見ながら、お金を手に入れています。貴女があの時言ってくれた”合ってると思うよ”を胸に、頑張ったおかげで、今があるんです。ありがとうございます。彼女には、してあげられませんでしたが、今これを読んでくれている貴女の力にはなれます。貴女の望む輝く未来に向かって、

一緒に進んで行きましょう。